良い日

2018年1月27日

 昨日は、高田馬場のラビットへ、QRコード読み取りの実証実験に出かけた。視覚障害者への情報提供の手段として、商品のパッケージなどに必要な情報を埋め込んだQRコードを配置し、それをiPhoneで読み取って音声で読み上げさせるという実験である。そのようなアプリの開発に取り組む会社が、実際に我々にとって使いやすいものかどうかを調べたいと、このような調査を実施したのである。
 触っただけでは何もないつるつるの紙のどこかにQRコードが埋め込まれていて、それを見つけられるかどうか、またちょっとした浮き出し模様などでQRコードの位置を示しておけば直ぐに見つけられるのか、などを調べられた。私はこの種の感覚にはあまり優れていないので、「視覚障害者は感がよい」といった大ざっぱな定説を信じさせないためにも、参加することに意義があると思って応募した。紙や箱、ペットボトルなどさまざなな形のものに埋め込まれたQRコードを読み取る様子を動画撮影され、簡単なアンケートに答えて20分余りで終了した。
 帰りには、なかなか痛みが去らない膝の治療のため、あざみ野の接骨院に回り、7時半ごろ帰宅するまで、すべて一人で行動し、なかなか面白い経験であった。
 まず、出かけようとしたらどうしてもタクシーが捕まらない。雪の影響が残っているのか、スマホで呼んでも電話をしてもダメなので、諦めて一人で駅まで歩こうと覚悟した。ラビットに近い点字図書館で買い物をする時間を取っておいたので、それを辞めれば十分余裕のある時刻だった。でも、美寧子が商店街の入り口まで送ってくれた。午後からフランス語のレッスンがあって、泥縄勉強をしたかった彼女なのに、私を気遣って出かけてくれたことに、心からの嬉しさを覚えた。尾山台の駅でも、大岡山の乗り換えでも、駅員が声をかけて、電車に乗るのを見守ってくれた。目的の駅までのガイドを頼むと、それぞれの下車駅で迎えてくれるかの確認がとれるまで電車に乗せてもらえないので、とても時間がかかってしまう。だからできるだけ、全区間の誘導は頼みたくないのだが、駅毎に係員が少しずつ手伝ってくれるのは、実に有り難い。「今日は日がいいのかな」と喜んでいると、目黒の乗り換えでも親切な駅員が手伝ってくれた。
 ラビットでの実験が終わると、荒川社長が「和波さんにテストしてもらおうかな」と、iPhoneをテンキーのボタンで操作する韓国製の小さな端末を貸してくれた。ラビットが近々販売する計画だと聞いて、私が興味津津だったのを知っていて、荒川さんが情けをかけてくれたのだ。まだ試作品だが、日本語入力にも対応したこの機器は、私たちのiPhone操作を飛躍的に便利にしてくれる可能性がある。思わぬ幸運に、「やっぱり今日はいい日なんだ」と納得した。
 帰りは、渋谷の乗り換えがあって一人では無理だから、高田馬場で誘導を依頼した。渋谷に確認を取るまで寒いところで待たされたり、乗った電車に空席があったのを駅員が教えてくれなかったりしたが、この日はむっとすることもなく、大人しくしていた。そして、あざみ野で丁寧な治療を受けた後は、いつものように、先生の一人が駅まで送ってくれた。この接骨院が駅の近くにあって、送り迎えをしてくれるお陰で、私は頻繁に治療に通うことができ、暮れにはかなり痛かった膝が、ずいぶん良くなってきている。
 締め括りは、尾山台から我が家までの一人歩きである。氷に足を取られて転んだりしたら、せっかくの膝の治療が何にもならないから、ことのほか慎重に歩いた。数人の歩行者の足音を頼りに環状8号線を横断し、横道に入ったところで美寧子からの着信音が聞こえた。私のiPhoneを探したところ、普段歩くルートから外れているように見えたと、電話してくれたのだった。「大丈夫、ちゃんと歩いているから」と、優しさに感謝しながら電話をポケットにしまったとたん、電話に出るために外した手袋を持っていないのに気が付いた。落としたのだ。さあ、困った。ちょっと道路に触れてみたが、足下にはない。通行人もいない。仕方なく、美寧子にテレビ電話をかけてみた。
 カメラで道路を写してみたが、「暗くてわからないから、待ってて」と言う。彼女にも気の毒だが、氷点下近くに冷え込む中で待っているのも寒いな、と困っていたら、通行人の足音が聞こえた。思い切って声をかけると、直ぐに拾ってくれた。やれやれ、助かった。以前ヨーロッパで買った、かなり大切な手袋である。それをはめて、心まで温かくなりながら、ご機嫌で家まで歩いた。
 世の中はどんどん便利になり、新幹線だ、リニモだと、人の移動もどんどん早くなる。だが、歩いていても前には進める。私の歩く速度は、美寧子と一緒に歩く時の半分ぐらいだが、それでも確実に一人で前へ進んで行ける。このゆっくりだが確実な歩みを、自分は大切にしたい、と思った。これが、「私は独立した人間である」という証なのだから。