スマホに夢中

2016年2月26日

 2月は寒いので、あまり好きにはなれないのだが、その2月も後わずかになった。冬の終わりも近いことだろう。
 今月は、私とその周辺にいろいろなことがあった。まず最初の週は、我が家でささやかなリフォームを行った。ささやかと言っても、6日連続で職人さんが入り、一部の壁紙の張り替えや、キッチンのリフォームをしたため、生活には少なからぬ影響があった。私の音楽室は、物置兼仕事場となり、私は早々とヴァイオリンを2階の部屋に運んだ。妻は、家を離れることができなかったが、いてもあまり役立ちそうにない私は、この期間中に避難することにし、暖かい沖縄へ3泊4日の小旅行を敢行した。
 往復の飛行機は順調だったし、那覇では高校時代の後輩の心づくしで、あちこち出かけて観光を楽しんだほか、視覚障害者の方々とも交流ができ、単なる遊びに留まらない大変収穫の多い旅行となった。中でも印象深かったのは、沖縄の方々の優しさと、思いやりの気持ちだった。後輩が心温かな人で、その周辺にも同じような人が多かったということかもしれないが、それだけではなく、ホテルのスタッフも「滞在期間を延長したいな」と思うほど親切で、皆とても明るかった。朝食のバイキングで、毎朝面倒を見てくれたおばさんの声も忘れられない。とにかく、深く心に残る沖縄だった。
 18日には、母の3回忌を行った。よく晴れたこの日は、母の2回目の命日で会った。体調のよくない日もあるが、とにかく今日まで無事に生きてこられたのは、きっと母が守っていてくれるからに違いない。そうした思いを込めて感謝の祈りを捧げ、弟一家と共に墓参りをした。
 時々私は、練習の合間に仏壇の前へ行って、母と心の対話を交わす。今は、8月のサイトウ・キネン・オーケストラに備えてマーラーやオネゲルのシンフォニーの譜読みをしているのだが、なかなか覚えられなくていらいらすることも少なくない。もし母がいたら、「そんなに大変だったら辞めてもいいんじゃないの?」と言われてしまいそうだ。だが、口先でそうは言っても、母はきっと、私がやると決めた仕事をやり遂げることを信じ、期待してくれているに違いない。そう自分に言い聞かせ、勉強を続けている。
 ところで、そんな私が相変わらず夢中になっているのが、iPhoneである。この高価な玩具を手に入れてから、間もなく9ヶ月になるが、これは私を決して飽きさせない。iPhoneの楽しみはいろいろあるが、その一つはインターネットラジオを聴くこと。クラシックはもちろんだが、BBCのニュースやロシア民謡もよく聴いている。最近は、カナダから発信されているCalm Radioというのにすっかり夢中だ。
 「穏やかなラジオ」という名のとおり、クラシックを中心に質の高いジャズやラテン音楽、それに自然音などのたくさんのチャンネルを持っている。最近までMediaU というアプリを使って、Calm Radioのいくつかのチャンネルを聴いていたのだが、「あなたのサポートが必要です。是非会員になって、もっと多くのチャンネルを楽しんでください」という英語のアナウンスが頻繁に入る。勿論、月々\800を支払えば、このコマーシャルは聴く必要がなくなる。
 そこで、パソコンを使って支払いをし、それからiPhoneにCalm Radioのアプリをインストールした。確かに多くのチャンネルが聴けるし、会員になると「お気に入り登録」などの機能も使える。ところが、iPhoneのボイスオーバーを使うと、挙動がおかしい。なかなか聴きたいチャンネルにたどり着けなかったり、せっかく登録したお気に入りの一覧が表示できなかったり、「使えない」というほどではないものの、いろいろ不便だ。
 そこで、昨夜遅くサポートの人に愚痴めいたメールを送った。エリックというその男性には、登録の仕方についてもアドバイスをもらっていた。「もう少し視覚障害者にも使いやすくなると良いと思う」とメールを締めくくったが、朝には返事が来ていて、「ボイスオーバーに対応したバージョンに近々アップデートします」と書かれていた。
 日本でも、いろいろなアプリの提供者に、ボイスオーバーでは使いにくいと訴えて、改良を求めることがあるのだが、9割は「申し訳ございませんが、弊社のアプリはボイスオーバーには対応しておりません。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます」といったたぐいの、慇懃無礼なものばかり。それに比べて、このカナダからの返事は、大いに私を喜ばせた。「なんという嬉しいニュースでしょう。アップデートを楽しみにしています」と書き送ると、またまた返信があり、「私たちは視覚障害をお持ちのメンバーのために、最善を尽くすよう努力します」とあった。これこそ、私が期待する理想的な答えだ。try という言葉が含まれているので、「トライしたけどダメだった」と言われる可能性は残っているが、少なくともボイスオーバーに対応させる努力は、約束された。これが大切なのだと思う。
 日本にも、親切な会社はある。「スマホでUsen」というサービスは、有線放送がスマホでも聴けるというサービス。アンドロイドのスマホを使っていた時にこれが始まり、早速飛びついたのだが、アプリがバージョンアップされると非常に使いにくくなった。問い合わせを出したが、その時は満足な答えがなかったので、解約した。約2年を経て、iPhone向けのアプリがどの程度使えるのか試したくなった。3日間のお試しに登録しようとしたら、画像認証に阻まれた。そこで「なんとかならないだろうか」と問い合わせたところ、電話で登録処理をしてくれた。解約したアカウントのデータが残っていたため、名前から生年月日から、何から何まで電話で説明するという手間がなかったので、私としては非情にラッキーだった。そして、アプリの使い心地は、かなり順調である。
 こうして、スマホを手掛かりとして、私はいろいろな人との交流を経験し、悲しい思いもするが、ほのぼのと嬉しい気持ちになることも多い。本業である音楽でも、もっと多くの人とのコミュニケーションを実現させ、心を高め合えるような交流の機会が増えるよう、努力しなければと自分を戒めるこの頃である。